音楽を楽しむこととオーディオに興味をもつこととは、本来は一致するべきものと思うのですが、原音の不完全な代替品でしかないのなら、音楽が好きでもオーディオを必要としない人がいても不思議ではありません。
これは、かつては写真の役割をしていた絵画が写真が登場しても写実以外の存在意義を見出し独自の存在意義をもつに至ったことと似ていますが、オーディオの場合には原音から大きく乖離できないことからデフォルメにも限界があり、原音に忠実という写実要素とオーディオ独自の存在意義という写実以外の要素との関係を難しくしています。
オーディオの進化といわれるものは、この写実を追求しスペックとしての物理的な数値を追求してきた歴史でもあるのですが、このことが音楽を聴く感動に必ずしもむすびつながらなかったことをしっかりと認識する必要があります。
そのスペック追求のひとつとして広い帯域を求めることは音の実在化にとって間違えてはいませんが、現実の結果は、帯域は伸びたが中身の抜けた痩せた無機的な音が氾濫しています。
私はシンプルに原則に戻るべきだと思います。
人間の可聴帯域を越えた音域の重要性を無視するわけではないですが、現実に人間の耳に聴こえる主役となる音は、いわゆる可聴帯域の中でも中心となる中音域の音で、その聴こえる音を充実させるために広い可聴帯域外の超高音や超低音が従的に重要になってくるという原則です。主役でないトゥイターやウーファーだけを鳴らしても、けっして音楽にはならないのです。
そこで、本来のDSS振動板の主役であった中音域の音を可能な限り充実させて、その充実を更に徹底するために初めて、2ウェイとして高音部に従的にトゥィターを採用しました。このように中音域を主役にすると、いわゆる中抜け現象が起きないことも当然の結果となります。
その成果は、今まで聴いたことのないような充実した実在感に溢れた柔らかい音にしてクリアーな音の世界でした。朗々と歌う声、オーケストラの生々しい実在感と広大な音場感や弾ける様な低音とハイスピードな音を耳にすることができます。
私はプロデューサーとして、オーディオ製品は工業製品ではあるけれども、特にスピーカーは本質的には楽器のような手工業製品であらねばならないと思っております。いい製品を作ろうという情熱の背後には、確かで謙虚な技術力、音楽への愛情と見識、誠実な製作姿勢が必要不可欠であると信じています。
島津スピーカーは今後も更に進歩していくでしょうが、Model-4は今後も間違いなく、普通の家で鳴らす一般ユーザーにとってのスタンダードになる製品です。
このカタログを手にした方がModel-4を手にして末永くご愛顧くださることになるのを願ってやみません。